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「ふん。何でもありやせんよ。大方、腹でも痛かつたんだらう」
房一は苦笑した。とにかく珍客にはちがひなかつた。そして、たつた今さつきまで房一は彼等のお見舞ひでわれ知らず興奮し、緊張し、それからあの半シャツの男と言葉の上でなく、眼と眼で、構へと構へでやりとりした、それが突風の去つた後のやうな軽いあつけなさを残していた。
房一は苦笑した。
相手はしばらく黙つていた。だが、場所が高いのと、柵の中にいるためか、落ちついて答へた。
「おい、ビールは冷やしてあるかい」
彼は先だつて房一から全快祝ひに贈られたセルの上下を、仕立下したばかりのものを着こんでいた。夏からふた月あまり寝こんだとは云へ、日焼けの浸みこんだ黒い皮膚の色は容易にとれないと見えて、今もそれが真新しいセルの、明い地色と際立つた対照をなしていた。
「さやうで御座りますか。お忙しいところを御苦労さまで」
その時、突然練吉は、房一がさう云ひかけたまゝ当惑した表情になつたのを見た。
「まあ、それあ――」
彼の現実的に鋭い頭が働きをとめたわけではなかつた。又、あの身うちから溢れるやうに頭を持上げて来る野気を失つたわけでもない。それらはたゞ、急がば廻れといふ風にどつかりと彼の中に腰を下し、緩漫な暢のびやかな四囲の空気と調子を合せることを覚えこんだのである。もともと彼の野心といふものには格別はつきりした目標があつたのではない。漠然とした、無意識のうちに魂の孕はらむ夢といつた風なものだつた。が、今やその魂はどうにか方向を見つけ、その形づくらうと欲しているものを予感し、穏かに、着実になつた、といふやうに見えた。
「いや、さういふことは人によつてはあるんだよ」
房一は目を上げて何か訊きたさうにした。それを押へるやうに、
「なにぶん山の中でございますから、折々にこんなことがございます。」